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捨てること 手放すこと


暮れの大掃除から、はや二ヶ月。そろそろまた、年度末と新年度という、区切りの季節がやってきます。

それを待たずとも、確定申告という区切りもあるし、また、感染症予防のため外出を控えた家の中で、なんだか整理整頓が気になってきた、という方もおられるのではないでしょうか。

春浅い今の季節は、「持つか、持たないか」の問いに直面する季節でもありそうです。

「断捨離は難しい。悩ましい。やっぱり捨てる決心がつかない」という声もよく聞きますけれども、
「持たない」という選択をして、心が決まったならば、次は処分をすることになります。

そのとき、かつては「捨てる」という言葉を使うことが一般的だったように思いますが、いつの頃からか「手放す」という言葉も、日常的に使われるようになりました。

 

「捨てる」ことへの後ろめたさから、「手放す」というソフトな表現が選ばれているケースもありそうですが、私自身、「手放す」という表現がしっくりくると感じ、日常的に使っています。

 

捨てる 手放す

 

実は、私が「手放す」という言葉を私の辞書に搭載したのは、比較的最近のことです。

私自身がクライアントとしてヒーリングを受けていた頃、それまでの50年近い人生でずっと「~であらねば」「~しなければ」と思いこんできた、その思い込みが外れてゆく経験をしました。

私は、これを「思い込みメガネ」と呼び、世界が歪んで見えるこんなメガネを後生大事にしていたとは、と思わず笑ってしまいました。

「こんなメガネ、もう要りません。捨てます!」とヒーラーに言ったら、微笑みながら「手放すんですね」と言われました。

そのとき、ハッとしました。

 

似たような意味ですが、「捨てる」と「手放す」には、ニュアンスの違いがあります。

「捨てる」は、パッとゴミ箱に入れておさらばよ、という感じがします。

「手放す」には、「手」のおかげでしょうか、一旦、その対象を手に取ってみて、それが何だったのかを確認してから別れるような、ひと手間かかっている、一拍おいている、そんな感じがあります。

 

どんな想いや、どんな思い込みとさよならするのか、一旦、手に取って見ること。

それが、自分にとってどんな役割を果たしていたのか。

さよならするものと、一度は対面しなければ、別れきれないのです。

 

モノを処分する場合でも、どうして私はこれを持っているのかな?と、一旦手に取ってみると、今の自分に気づくきっかけとなり、要らないものに囲まれて暮らすストレスを回避できるようになるでしょう。

処分を後悔するのは、「捨てる」ことをしたときに多いのではないでしょうか。手に取って見てみたうえでの「手放し」の後には、爽快さが続きます。

手放して、取り入れて、また手放して…
その繰り返しを恐れずに、人生後半を柔軟に楽しみたいと思います。