昨年の秋のことです。たまたま通りかかった横浜中華街の近くで、どこか懐かしいようなお囃子の音が聞こえてきました。
なんだろう?と思うまもなく、爆竹の音がそれに重なり、あの独特の、爆ぜる匂いが立ち込めました。
お祭りをみるのが好きな私は、一緒に歩いていた夫を置いていく勢いで、音と匂いの方へ急ぎました。
赤い獅子と黒い獅子の、獅子舞が、まさに始まったところでした。
日本の獅子舞でも見覚えのある動き、でも、こちらの二頭の獅子は、よりダイナミックで爆発的な祝祭感に充ちていました。
爆竹と相まって、まさしく魔除けでした
獅子舞が終わった後、その場に置かれた赤と黒、二頭の獅子頭に近づいて見ました。
鮮やかな色とキラキラした飾りの獅子が、爆竹の匂いとざわめきの残る路上に、仲良く並んでいます。

ふと、赤は光を、黒は闇を象徴しているように感じました。
朝日の色と、夜の色です。
私たちは、ともすると「明るいのがいいこと」「暗いのはよくないこと」と思いがちです。
「いつも明るく前向きに」とか、「暗い顔をしないで」とか、誰かとの会話や読みものの中で、よく見聞きします。
「闇」とか「ダークサイド」という表現が、日常会話の冗談として使われることもあります。
でも、光と闇は、表と裏。
太陽の時間の後に、暗い夜がくるからこそ、よく眠って休むことができます。
やがて夜が明け、太陽のエネルギーが注がれてこそ、食べて、働いて、活動できます。
光だけでは眩し過ぎて直視できません。
影があるから、よくものが見えるのです。
どちらも、かけがえがないのです。

人の心の中も、同じだと思っています。
たしかに、光と闇のバランスが崩れるのは苦しいことです。
ただ、そんな時でも、闇とか影の部分も「ある」のが自然なことだ、と受けとめることができたら、その苦しさは、少し和らぎませんか。
暗さもまた、自然なことです。
人生の一分一秒に影の欠片もない人はいないでしょう。
暗さもある自分を、それはそれとして、そこからバランスをとってみればよいのです。
暗いイコール悪い、というものではないのです。
光と闇は、表と裏なのですから。
仲良く並んでいる赤い獅子と黒い獅子に、光と闇が調和する宇宙のリズムを感じたお祭りでした。