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買いだめと「長いお箸」のお話

今日は2020年3月4日。
今日にいたっても、近所のドラッグストアやスーパーでは、マスク、消毒アルコール、トイレットペーパー等の棚の空っぽが目立ちました。

そこだけが、ガランとした売り場を見ていると、高校生の時に聞いた「長いお箸の話」を思い出します。

今日は2020年3月4日。
今日にいたっても、近所のドラッグストアやスーパーでは、マスク、消毒アルコール、トイレットペーパー等の棚の空っぽが目立ちました。

そこだけが、ガランとした売り場を見ていると、高校生の時に聞いた「長いお箸の話」を思い出します。

テーブルの上に、見るからに美味しそうな、そしていい匂いの漂うご馳走が、たっぷり並んでいます。
ご馳走にありつこうと、人々がテーブルについていますが、誰ひとりとして、そのご馳走を口にできていないのです。

そのテーブルに用意されていたのは、長いお箸でした。

お箸が長いために、「早くご馳走を食べたい!」という焦りに反して、せっかくお箸で摘まんだご馳走を、自分の口に運ぶことが出来ないのです。
皆、焦れています。


一方、別のところでは、同じテーブルに、同じ長いお箸、同じご馳走が並んでいます。
けれども、こちらでは、皆が嬉しそうです。ご馳走を味わって、楽しんでいるからでした。



どちらのテーブルにも、同じ長いお箸しかないのに…
なぜ、片方はご馳走を食べることが出来ず、もう片方は満足しているのでしょうか?

 


ご馳走を味わえた人々のテーブルでは、向かいの人に食べさせてあげているのでした。
長いお箸を上手く使って、お互いの口に運んでいたのです。

お箸が長いのに、無理にでも自分の口に運ぼうとしていた人々は、結局何も食べることができませんでした。

 

 

 

こういうお話を、私は、キリスト教の学校に通っていた高校時代、何かの行事の折に、来賓の神父様から聞きました。それから20年近く経って、お寺の法事の折にも、聞いたような覚えがあります。


ガランとした売り場、その売り場を目にして、ため息や悪態をつく人たち、お店の困惑が伝わる告知の張り紙…

このところの、そんな光景に「長いお箸」の話を思い出しています。

でも、私は希望をもっています。


昨日、スーパーのレジで、前に並んでいた人が、私がレジかごを置けるよう、ご自分のかごを寄せてスペースを作って下さいました。私も、自分の番が来た時に、これに倣いました。私の次の人も笑顔で会釈してくださり、ちょっと嬉しい気分のリレーに参加した思いでした。



今日は、狭い道を向こうから自転車でくる人と行き合いました。ちょっと不安そうな表情でハンドルを握っておられたので、脇に寄って道を開けたら、大きな声で「ありがとうございます」と言ってくださいました。ほんの一瞬の出会いですが、お互いを大切にしあえた、爽やかさを感じました。

長いお箸を、上手に使おうと思っている人は、大勢います。