新型コロナウィルス感染防止のための施策も、ひとつのトンネルを抜けつつあるようです。
ようやく初夏らしい爽やかを楽しむゆとりも持てそうな、そんな今日この頃です。
先日、とあるビルの洗面所で手を洗っていたときに、さりげなく活けられたカーネーションに気づきました。
牛乳ビンに挿してある素朴な心尽くしに、気持ちが温かくなりました。

清掃スタッフの方が活けられたのではないか、と思いました。
この何か月か、そこがどんな現場であれ、清掃を仕事とされる方々は、どれほどの緊張をもって業務に当たっておられたことか。そんな中でも、こんな風によろこびと温かさをシェアしてくれる…
清掃スタッフと利用者というのではなく、人と人としての触れあいを感じました。
会ったことがなくても、言葉をつかわなくても、ひととき、通じ合えました。
そのことに、深いよろこびと感謝を感じます。
考えてみれば、今、こうして暮らしていられるのは、会ったことのない大勢の人たちのお蔭です。
たとえば、スーパーでトマト1個、味噌1パックを買うにしても、生産者がいて、加工してくれる人がいて、それを運んで、並べて、レジを打ってくれる人がいます。
そして、その人たちには、それぞれ仕事の仲間や家族や…その人たちを支えるさらに大勢の人がいるはずです。
今、私がこうして手にしているトマトや味噌の向こうに、無数のつながりが広がっていて、たくさんの人の誠実な仕事が連なって、私の暮らしが成り立っているのでした。
その人たちに、私は一生会うことはないかもしれないけれど、今ここで、こうしてつながっています。
生活習慣も考え方も、似ているかもしれないし、逆に理解しにくい部の方が多いかもしれません。
でも、それにもかかわらず、私たちは同じ時代に生きていて、関わり合い、支え合って暮らしているのです。
洗面所のカーネーションから、そんなことを思いました。
会ったことのない、でも、私を支えてくれる人に「ありがとう」という気持ちを贈ります。