先日10月11日の日曜日、横浜の大さん橋で、”伝説の大道芸人”ギリヤーク尼ヶ崎さんの踊りを観ました。
ここ15年近くの念願が叶って、はじめて、ライブでギリヤークさんの芸に触れることができました。
しあわせです。
今回の公演については、事前に新聞で報じられていたようですし、当日はTBSと文字の入った機材を担いだクルーも来ていたので、新聞やテレビのニュースでご覧になった方もあるかもしれませんね。
ギリヤーク尼ヶ崎さんは、今年90歳の現役の大道芸人。その芸は、踊りです。その踊りは、日本舞踊でもなく、民謡の踊りでもなく、コンテンポラリーダンスの草分けということもできるかもしれませんが、もっともっと土着の匂い、地から涌いてくる匂いの濃いものです。
90歳で、病気と向き合いながら、今回は1年ぶりの公演でした。
YouTube動画で過去の公演は観たことがありますが、いま、どんな踊りが見られるのだろう…と、少し不安なような、最初から何かを割り引くような、それでも私にとっては同じ場にいられるということ自体に価値があるんだ、というようなほのぼのとした気持ち。いろんな気持ちを感じながら、大さん橋の会場で、ギリヤークさんの登場を待っていました。
大さん橋国際客船ターミナル屋上より。ベイブリッジが見えます。

紅い衣装に身を包んだギリヤークさんは、車いすで登場。
最初の演目は「じょんがら一代」です。もともとは、走って登場するはずなのですが、黒子さんに押されて、車いすで疾走。カッコよかった。「これ、アリ!!」と心の中で大声で叫んで、精一杯、拍手しました。
「老人」という、静かなパントマイムのような演技にも、非常に魅了されました。紅い締め込みと腰のコルセット、両膝のサポーター。ただそれだけを身に着けた90歳のギリヤークさんが、しずかに、しずかに、研ぎ澄まされたいのちとして、そこに在りました。
「私は何をみているんだろう」という衝撃。歳月と鍛錬に洗われた身体は、ひたすらうつくしかった。いける宝石のようでした。
最後を飾る演目は、代表作である有名な鎮魂の踊り、「念仏じょんがら」です。YouTube動画で観る過去の公演では、走り回り、回転し、頭から水をかぶるという、とても烈しい踊りです。どうなるのかな…と思っていました。でも、すべては杞憂でした。
かつてと同じように、動きまわることのない身体。しかし、いのちの慟哭は、大変な力強さで響いてきました。
限界を超えるというのは、こういうこと…
胸を打たれました。高齢だから、病気だから、できない。「制限された中で精一杯やる」のではなくて、制限があることを前提として受け入れ、「じゃあ、今いるところからスタートして何ができるか」という姿勢がヒシヒシと伝わりました。感動しました。制限のある中でベストを尽くしたのではなく、新しい表現が創造されていました。
そう、新しかったのです。
ギリヤークさんは、MCコーナーでのお話で「大道芸人として」という言葉を何度も使われていました。こういうことなんだ、と深く腑に落ちました。
(ちなみに、用意されたバケツからは、本水ではなく、水を模した青いビニールテープが溢れ出て、非常にシリアスな場面での、その遊びの感じも、ホッとするともに、なにか楽しかったです)
大道芸人に徹し、路上から肌で触れた日本の50年。ギリヤーク尼ヶ崎さんにとって、どのような年月だったのでしょうか。
そして、観客の多くは高齢の男性だったのですが、その一人ひとりの人生の歴史の中で、ギリヤークさんの存在はどのような位置を占めてきたのか。インタビューしてみたいような気持になりその場をに共にしました。
現在、ギリヤーク尼ヶ崎さんの90歳記念映画のプジェクトが進んでいます。
100歳まで踊る、と語っておられました。またライブを観にいきたいと思います。