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マスクだけど。マスクだから。

今年は、withコロナとか、新しい生活様式、といった言葉とともに、誰もがそのような「様式」へのトライを余儀なくされてきました。それぞれがいる場で、それぞれの「新しさ」に直面しているわけですが、ほとんどの人が実行するようになっとことが、外出時には常時マスクをつける、という行動ですね。

 

私自身は、インフルエンザの時期(12月のはじめから3月くらいまでの寒い時期)には、もともとマスクを着ける習慣があったので、ずっとマスクをつけることに、あまり抵抗は感じないのですが、ちょっと困ったな、と思うことがありました。

 

それは、マスクを着けていると表情が見えにくい、ということ。当たり前といえば当たり前なのですが・・・(そして、なぜ今まで、そのことに気づかなかったのか?と不思議ですが・・・)

 

 

家庭や職場、色々なコミュニティなど、それなりに継続した関係や、ある程度の時間を一緒に過ごすような関係なら、言葉の数も多くなり、表情以外の身振り手振りでも表現は可能となり、マスクのハンデを補う手だてがあります。

 

 

私が、「ちょっと困ったな」「物足りないな」と感じるのは、たとえば、スーパーのレジで対面するときに「ありがとう」と伝えたいとか、狭い道で向こうからくる人と譲り合うときのわずかな時間のコミュニケーションの場です。今までなら、瞬間的に通じ合った気持ちの行き交いが、なんだか輪郭のぼやけたものになってしまう感じ。

 

が、私の中では、その「ちょっと困った」ぼやけた感覚は、ここへ来て薄らいでいます。なぜかというと、口元が覆われて顔の表情全体が見えにくい分、目の表情が多くを語っている!ということに気づいたからです。(これまた、当たり前と言えば当たりなのですが・・・)

 

 

私が、目の表情をしっかりみることに慣れてきたのか。みんなも、口元を含む表情全体では伝えきれない思いを、目で表そうと意識しているのか。

 

買い物のとき、レジでお店の方と目をしっかり合わせたり、狭い道を通るとき、譲ってくださった方としっかり目を合わせる。そうすると、口元が見えなくても、場合によっては「ありがとうございます」と発声しなくても、しっかり気持ちの行き交いを感じられます。なんだか、いわゆる目力がアップしている人に遭遇することが増えているみたいです。

 

 

目を合わせることが苦手な方もおられると思いますが、「目を合わせるの大丈夫派」の私にとっては、瞬間的に目を合わせてコミュニケーションがとれることに、素朴なよろこびを感じる今日この頃です。