昨年50歳になった私。年齢を重ねてきて楽しいことは、好もしいと思えるものが増えてくることです。
あなたも、たとえば、子どもの頃には苦手だったピーマンを、いつの間にか美味しく食べていたり、「なんじゃこりゃ」と思っていたミョウガが好きになっていたり、そんな経験がありませんか。
年齢とともに、ニガテだったものを許容できるようになる、さらに好きになる。そんなことが知らず知らずのうちに起きているのが、長く生きる、生き続けることのよろこびの一つなのではないか、と思います。
私の場合は、年々、好きな花が増えていくのを嬉しく感じていますが(以前は、紅梅や紫陽花、ツワブキの花があまり好きではありませんでした。だんだん、いいな、と思えるようになってきました)
さらに、最近好きになってきたものが二つあります。
それは、お笑い芸人のサンドウィッチマンと、スカイツリー。

テレビを観る習慣のなかった私は、10年ほど前、当時既に人気のあったサンドウィッチマンを知りませんでした。私が初めて彼らを認識したのは、JR東日本の東北キャンペーンのポスターでした。
最寄り駅の階段に、ズラッと数バージョンが展開されていたポスターには、ガラの悪そうな男性二人組(失礼!)が写っていて、当時の私はヤな感じを受けました。結婚前の夫に、「あのポスターの人なに?感じが悪くてヤだな」と言うと、「漫才師だよ。とっても人気があるんだよ」と言われましたが、マジすか⁈という気持ちになったくらい、拒否感が強かったのです。
一方、スカイツリーは、ちょうど同じ頃、まさに建設中でした。東京タワーのシルエットに馴染みを感じていたためなのか何なのか、私は新しくできるスカイツリーにも拒否感を感じていました。ヤな感じだ、と思っていました。
今思えば、その頃の私は、好き嫌いが激しく、そんなにフォーカスしなくてよいもの、日常的に煩わされることのない(実害のない)ものにまで、勝手に噛みついていたような気がします。
あれから、気がつくと10年ちかく経ちました。
今、私はお笑い番組を夫と観たり、ラジオまで聴くようになりました。サンドウィッチマンも大好きです。
今年の夏は、よく通る場所からスカイツリーが見えることに気づきました。今まで何年も通っていた場所なのに…なぜ気づかなかったのでしょう。今では、足を止めてスカイツリーの景色を眺めるようになりました。その日の天気や時間帯により、ハッキリ見えたり、霞むようにボンヤリ浮かんだり、その変化を楽しみにしています。
サンドウィッチマンとスカイツリーが嫌いだった頃、私は「ガラの悪そうな外見の人は嫌」「新しいものは嫌い」と激しく思いこんでいたのでしょう。他者の目に見えない部分を知ることや、新しいものを取り入れて変化することを恐れていたのかもしれません。
いつの間にかミョウガを美味しく食べていたように、気が付くと、あんなに拒否反応を示していたサンドウィッチマンとスカイツリーを好むようになっていました。
いろんなものが嫌いだったあの頃から、すいぶん遠くへ来たような気もします。その間に、少しづつ少しづつ、心の中の思い込みという不用品の片づけが進んでいたのでしょう。今は、シンプルでラクな場所にいます。
これからも、サンドウィッチマンの芸に笑わせてもらって楽しみ、スカイツリーの眺めにちょっとした嬉しさを感じてゆくでしょう。
そういうものが、これからの人生でさらに増えるかな、楽しみだな、と思いつつまた一つ、年をとろうとしています。
心の片づけは、これからも続きます。