· 

心の色はどんな色?小説「カラフル」

なんだか気になって手に取り、10年ぶりに読んだ本です。森絵都「カラフル」。文庫本の帯には「高校生が読みたい本№1」と書いてあります。現代日本の中学生生活を舞台とするこの物語は、ティーンズ小説というカテゴリーに分類されるものかもしれません。だけど、ちょっと待って!文庫本をひっくり返すと、紹介欄には「老若男女に読み継がれる不朽の名作」とあります。

そうなのです。10年ぶりに再読した私も、山手線のなかで何度も目頭を拭いました。

あらすじ

 主人公の「ぼく」は、人間の魂。既にこの世の人ではなく、生前の記憶も失っています。そこへ突如、プラプラという名の天使が登場。「おめでとうございます!あなたは抽選に当たりました!」と宣言します。「ぼく」は、生前に犯した罪のために、本来なら「失格」となって、二度と生まれ変わることができないが、ラッキーにも抽選に当たり、下界で再挑戦するチャンスを得た、というのです。再挑戦の内容は、自殺を図った中学三年生の少年「小林真」の体を借り、真の家庭をいわばホームステイ先として、もう一度修業を積むこと。そして、修行が順調に進めば、「ぼく」は自ずと生前の罪を思い出し、その瞬間、ホームステイは終了し、「ぼく」は輪廻のサイクルに戻ってくる、というのです。

気の進まない「ぼく」は辞退するが許されず、気づけば「小林真」として、見知らぬ四人家族の一員としての暮らしをスタートしていた…

 

「ぼく」は、真の家族がどんな人物なのか、その関係性がどんなものなのか、何も知りません。さらに、真自身についても、何も知らないのです。時折、下界のガイド役としてやって来るプラプラが教えてくれる断片的な情報から、真が何に傷つき、何に苦しんでいたのか、次第に明らかになってゆきます。家庭は、「ぼく」にとって辛い場所でしかなく、部屋に引きこもりがちに。学校にも居場所はありそうになかったのですが、ただ、美術室には、真の描きかけの油絵が、待っていました。放課後の美術室で、無心にキャンバスに向かうときだけが、くつろいでホッとできる時間。

 

「ぼく」にとって、あくまで真は他人です。真の世界である家庭も学校も、一時的なホームステイ先でしかありません。そのため、ムカついたり、苛立ったりしながらも、こんなコトをしたらどう思われるか?などとあまり悩まず、「真として快適に暮らす工夫」を実践していきます。そして、「ぼく」のいる真の世界は、少しずつ少しずつ変化していくのです。それにつれて、家族や友達との関係も、今まで捉えていたものとは、また違う面がひらけるようになってきます。あれ?コイツ思ってたのとは違ってた、そんな経験が重なってゆきます。

 

いつしか「ぼく」は、真の周りにいた人たちの、真が気づいていなかった姿を、真本人に見せてやりたかった、経験させてやりたかった、と思うようになります。しかし、真の体を真に返すには、「ぼく」が生前の罪を思い出し、このホームステイを終了する必要があります。果たして、「ぼく」は思い出すことが出来るのか…

 

お薦めの本森絵都「カラフル」の画像
森絵都「カラフル」文春文庫

見ること、知ること

人生のストーリーは、そこにあるものをどう見るのか、その見方によって、まったく異なる展開をみせます。そして、自分の隣にいる人との関係は、二人の間で何らかの気持ちが動くことで、新しい見方が生まれ、さらに変化していきます。でも、大人にとっても、そのことを体感してい生きていくことは、簡単なことではありません。この物語の魅力は、そういうことを、説教臭なしに、軽やかに、でも痛いほど切実に伝えてくれるところです。

 

「ぼく」には、真についての知識がありません。だから、「ホームステイ先」である家族の一人ひとりについて、なんの先入観も持たずに初対面を果たします。その結果、平凡だけどいい人たち、真に対して心からの愛情を抱いている家族だと感じます。「こんないい家族に恵まれて、なんだって真は自殺なんでしたんだろう」と。ところが、プラプラによって知らされた情報によって、平凡であたたかい家庭と思っていた場所が、「役者揃いの仮面家族」に見えてきて、生前の真と同じように、心のシャッターを下ろします。

 

一方で、「ぼく」は「真」という存在にも、がっかりしています。容姿もイケてないし、友達もいない。学校の成績も悪い。「ぼく」にとって、そんな真として生きることは、面白くないことです。だから、「真として快適に暮らす工夫」を実践するし、「ぼくは真とは違う」そう言って、真が起こさなかった行動をとります。

 

自分に与えられた体と環境を「修業のため」と割り切って受け入れながらも、「真」に対しても、周囲の人に対しても、ちょっと距離をとって突き放すような、その距離感がいいのです。期間限定でホームステイ中の「ぼく」なら、後は野となれ山となれ、思い切ってやりたいことをやり、言いたいことも言えます。髪型をカッコよくしてみたり、流行りのスニーカーで登校したり、何よりも、家族や級友に、思ったままをぶつけるようになります。会話が始まるのです。

 

「ぼく」の言葉は、ときに攻撃的でもありますが、心の底からの訴えをぶつけることで、心のシャッターを下ろしきった状態から抜け出し、コミュニケーションのあり方を探っているようです。「ぼく」の口撃を受けた家族やクラスメートは、それに対して真剣に応じ、「ぼく」の中に新しい見方が芽生えます。同じことは相手にも起きていて、古い人間関係に新たな面が生まれていきます。

 

そこにあるものをどう見るのか、ということは、そこにあるものをどのように知っているのか、ということと繋がっている。中学生の家庭生活と学校生活という、一見狭い世界を舞台にしながら、非常にダイナミックにそういうことが描かれています。

 

「ぼく」をがっかりさせた真ですが、絵を描くことは、好きで得意。美術部の部室では心象風景に打ちこんでいました。なぜか「ぼく」も、真のあとを描き継ぐようになります。ここで興味深いのは、絵を描くことと、見ることの結びつきです。対象をよく見なければ、絵は描けません。見たものだからこそ、表現できるのです。絵筆をとった「ぼく」が、真について、また家族や友だちについて、よく見て、今までと違う見方を獲得してゆく過程は、まさに経験するということ、生きていくということそものののようで、生みの苦しみと喜びの葛藤が交錯します。

Lee_seonghakによるPixabayからの画像
Lee_seonghakによるPixabayからの画像

色の賛歌

「カラフル」というタイトルどおり、作中にはさまざまな色が溢れています。天使プラプラの瑠璃色の瞳、母親の淡藤色のエプロン、黄緑色のラインが入ったカッコいいスニーカー。小悪魔的な初恋の女子が着る黒いニットワンピース。そして、真が美術部で精魂こめて描いていた絵は、キャンバスいっぱいに塗りたくられた、青でした。

 

さまざまな色がちりばめられた世界で、自分の輪郭を掴みかねて焦れる中学生たち。けれども、自分の色を掴みきれない葛藤は、思春期の子どもだけものではありません。その時々、その時々の色でいればいいんだ、誰だってそうなんだ、という「ぼく」の叫びは、大人の読者にも届く力強さをもっています。

 

色を感じ取れるのは、体があってこそ。魂だった「ぼく」が、体と感覚を得て、様々な色を見て、感じて、絶望していた真の知らなかった世界を知っていく過程に、体をもってこの世界に生きる喜びと切なさが溢れています。色彩の豊かさを味わうことは、自分と出会ってゆく経験でもあり、世界のひろがりを知ることにつながってゆきます。物語を読み進むにつれて、読者も「ぼく」とこのような体験を共にします。その感動に、年齢の壁はありません。ここにあるのは、「せっせと生きる」人間の普遍的な心の軌跡の物語です。「カラフル」は、これからも沢山の読者に愛され、読み継がれることでしょう。

おすすめです。